いまは無き昔の話は、してもしょうがないと思うことって一般的です。
昭和を生きてきた人間からすれば、デジタル技術が進化している現代で「昭和レトロ」な話はやめたほうが良いか?考えてしまいます。
そこで結論として出した答えが、「情報は出さなければ持つ人間の脳とともに消えてしまう」となりました。
今回は、サラっと脳裏をよぎった飲食店の話です。群馬県吾妻郡中之条町の昭和30年代~50年代頃までに印象の残る飲食店を紹介します。紹介するといっても、すでにないお店のため、記憶だけの話です。もし、この記事を読んだ人で「その店のことは良く知っている」という人がいれば、コメントなど頂ければと思います。
群馬県吾妻郡中之条町のラーメン店「とちぎ屋」
昭和30年代でしょうか。もしかしたらもっと前から営業していたかもしれません。中之条町の大字中之条の商店街にあったラーメン屋さんです。近所(数軒隣)に実家があったため、部分的な記憶でお話しします。
当時の写真などがないため、テキストだけの説明です。とちぎ屋さんは、「栃木屋」だったのか?正式表記も定かではありません。
おぼえているのは、味と店のイメージと丼です。
メニュー
とちぎ屋さんのメニューは次の3品をおぼえています。
- 手打ちラーメン
- ワンタン
- きつねうどん
ラーメンとワンタンは、現在の吉野家の牛丼で使われている丼と同じような形(丸みのある丼)と柄でした。具は、ほうれん草とメンマ、なると(?)、チャーシュー、きざみネギだったと思います。
ラーメンは、手もみ?手打ちのような自家製麺だと記憶に残っています。佐野ラーメンのような青竹打ちの平麺ではなく、しこしこちゅるちゅるの王道麺でした。
また、ワンタンも手づくりで、中にはひき肉の餡が程よく入っていました。
きつねうどんは、汁が濃いめなうえ、お揚げがそれにも増して「あまじょっぱい」味でした。他にもメニューはあったかもしれませんが、お店で食べた記憶として残っているのはこの3つです。
店内雰囲気
お店の雰囲気は、入るとテーブル席が数席あってお座敷席の方が広かった気がします。お店の古い木のニオイが印象的でした。
また、印象に残っていたのがお店に飾られた天皇陛下や皇族の方などの写真です。子供ながらに記憶として残っています。
まとめ
今回は、中之条町のとちぎ屋さんのお話に触れてみました。私が中学生の頃にはお店が無くなっていたと思いいます。そのお店で麺を担当していた女性(当時おばあちゃん)と、高校時代のバイト先の焼肉屋さんで一緒に働いていました。
その焼肉屋さん(忠央食堂)の厨房で麺を担当していた姿をおぼえています。かれこれ、40年以上前の話ですね。その後のことは、私の知る限りではありません。ここで記事を通して話さなければ、時代とともに消えていく情報でもあります。知っている情報をインターネット上で公開することで新しい気づきになるかもしれないため、これからも気づいたら発信してみようと思います。