こんにちは、昔を回顧するって不思議な感じですよね。私は、昭和58年~昭和60年にかけて、さらに昭和63年~平成2年にかけて東京都豊島区西巣鴨1丁目に住んでいました。と言っても、アパートを借りていたという話です。
その間の思い出が、JR大塚駅から徒歩10分ほどの住んでいたアパートに向かう中で明確に回顧されました。ブログって自分が忘れていく記憶の断片を思い起こさせてくれる機能だと思っています。今回は、散策しながら当時(1983年~1989年)の記憶を忘備録として残したいと思います。
JR大塚駅北口を降りて西巣鴨へ向かう

住み慣れていた地域は、無意識のうちにスタスタと歩み進められます。言い換えると、足取り軽やか・・・とでも表現できますね。北口から癌研病院へと向かう道路を歩いていくと、右手に当時「YOSHIYA?」だった建物がありました。建物は変わりませんが、店舗自体は違っていて1階には、別名のスーパーマーケットがありました。

そのまま進むと北大塚~西巣鴨へと住所が変わる地点で昔お世話になったコンビニのあった店舗が出てきます。過去に、ミニストップだったお店です。当時、群馬県の地方にはコンビニが無く、東京に出たての頃に重宝していました。24時間営業に新鮮さを感じ、わざと深夜に買い物に行く習慣をつけていました。ミニストップで一番好きだった商品は、店舗で調理してくれるファストフードのパストラミサンドです。懐かしい限りですが、残念ながら別の店舗になっていました。

北大塚三丁目には、交番があり、通り過ぎると私が住んでいたアパートへと分岐する道になってきます。左側には、お金の無い時代、非常にお世話になっていた店舗のあった場所を発見しました。
過去には、「うらしま」という中華料理屋さんだったのです。今思えば、20代そこそこの私の空腹と栄養を満たしてくれたリーズナブルなメニューが忘れられません。決してお世辞でも美味しいとは言えない味付けでしたが、経営している夫婦の人柄がにじみ出るようなお店でした。
おかみさんは、水のお代わりによく気が付く方で食事中に3杯以上は冷たいお水を飲ませてもらいました。「お水お替りいかがですか」とニコニコと声をかけてくれたことを思い出します。
うらしまで良く注文していたメニューを書き出しました。
生姜焼き定食:当時700円?
焼いてあるけど味が薄く煮たような生姜焼き。だけどマヨネーズと醤油をぶっかけると最高のテイストに変身。肉もそうだが付け合わせの太めのキャベツの千切りとの相性抜群だった。なんと普通盛でも無言でテンコ盛りのライスを提供してくれたおかみさんです。また、スープはよくチャーハンにつくラーメンスープでした。スープは美味かった記憶があります。私はたっぷりコショウをかけて飲み干しました。
餃子定食:当時450円か500円?
鉄板の焼け焦げが残っているけど皮はみずみずしくやわらかめの餃子が6個ほどだった記憶があります。大きさは一般的な餃子より大きめだった気がしています。熱いうちに食べないと美味しくなくなる典型的な仕上がりでした。マスターは無口な人で黙々と中華鍋を振っていました。
野菜炒め定食:当時500円?
野菜が不足していた一人暮らしには、最適なメニューです。キャベツともやしがたくさん入っていたのを覚えています。このメニューが味変しないで食べた中で一番美味しかったかな?

アパート近くの公園です。ここは、よく来たなあ。ものすごくいろんなドラマがあった思い出の場所です。住んでいたアパートが4畳半一間という狭さから気分転換のためここのブランコに座って休んでいた記憶がよみがえります。
また、悪い記憶もあります。友達と殴り合いのけんかをしたのもここです。当時お付き合いしていた彼女ともここでドラマがあった気がしました。

私が住んでいたアパートの目の前には、救急指定の病院がありました。今でも診察してもらえるようですね。昔は、この病院に入院する患者さんとかいたけれど、今はどうなんでしょうかね。なんとも35年以上も昔の話ですからね。
私が住んでいたアパート

ここが私がお世話になっていたアパートです。いまの名称は不明ですが、当時は「森田アパート」と呼ばれていました。私は、2階の玄関上の道路側の部屋でした。2年弱ほどで一度、中野区江原町に引っ越して、再度こちらの森田アパートに戻ってきたのです。2回目の賃貸契約では、建物の奥上の道路側のやや広い部屋でした。

この玄関を何度開けたり閉めたりしただろうか。大家さんの森田さんは、おじさんもおばさんもとても親切な方でした。携帯電話やポケベルなどが無い時代だったので、森田さん宅の電話を連絡先として使わせてもらったことを覚えています。本当に、お世話になりました。当時の家賃で1万8千円だったのを覚えています。共同トイレ風呂無しで台所が半畳スペースだったかな?部屋のドアは引き戸です。
近くにあった銭湯に通って、都会の冷たい風にあたった心を温めていた記憶がよみがえります。

さて、ここからJR大塚駅北口に戻りますが、もう一つあるかどうか確認したい店舗がありました。

西巣鴨から大塚北口商店街のような通りを駅に向かって歩いていくと、交差点が出てきます。その交差点を渡らずに左に曲がった通りに、私が「東京の母ちゃん」と呼ばせてもらって親しんで訪れていたお店がありました。当時は、お好み焼き屋の「虎の子」という名前で義理人情の詰まったアットホームなお店だったのを覚えています。
写真の場所が跡地だと思うのですが、面影はないようです。ですが、その先かもしれません。何と言っても35年も前の記憶なので店舗を特定できません。

もしかしたら、ここかな?というあいまいな記憶です。多分、店主はその頃60代70代だったのでこの世にはいないかもしれませんが、本当にお世話になりました。調子づいて粋がっていたころの私を温かく見守ってくれてありがとうございました。
あとがき
いやあ、ホント懐かしさで感無量です。若気の至りとでもいうべき時代にいろんなことを体験した場所でした。お世話になりました。ありがとうございます。
ビーイングに面接に行き、みごと不採用になった1983年3月の話